10    11    12
翌朝。日番谷は珍しく夢を見なかった。
本当に珍しいことだ。『あの日』から先日まで、ずっと見続けていたというのに。

氷輪丸との賭け――あれが賭けといえるものかは別として、自分の中で忘れていた、というより意識のどこかで封印していた記憶を思い出したからなのか。
しかし、日番谷の布団の周りにある、日番谷が普段見慣れないような物たちは、まだここが尸魂界ではないことを雄弁に物語っていた。

(思い出したからといって、何も変わっちゃいねえってことか)
布団から何重にも捲くられた寝間着――夕べ寝る前に織姫が出してきたものだ。日番谷の記憶によれば、確か『ぱじゃま』とかいう――の袖を見ながら日番谷はため息をついた。
第一、思い出したとは言っても、かつてしたはずの賭けの内容を思い出しただけで、氷輪丸が言った『今の日番谷が忘れている、失くしてしまった何か』が分からないのだ。
少なくとも、こんなことをした氷輪丸と、それに乗ったかつての自分の浅はかさと、その賭けにどうやら負けかけている今現在の自分への情けなさに、かなり憤りを感じていることからしても、感情がなくなっているわけではないとは思うが。

ならば、無くなってしまっているのは表情か。
だが、それならば日番谷の周りにいる誰かが気が付いてもおかしくはないはず。
無論日番谷は元々表情を表に出すほうではないのだが、それでも少なくとも幼馴染の少女くらいは気が付くだろう。

だとすれば、一体日番谷が無くしているものは何なのか。

(………………分かるか、そんなもの)
自分で分かるなら、とっくに気が付いている。
分からなかったから、気が付かなかったから、こういうことになっているのだから。
今更自分一人でどうにかなる問題ではないのだろう。
考えても考えても答えは出ず、日番谷はくそう、と小さく悪態をついた。
すると。

「――冬獅郎君?」
まるでタイミングを計ったように扉の向こうから聞こえたその声に、日番谷はハッと反応した。
だがしかし声は出さない。その場を動かず、視線だけを扉の向こうへとやった、その瞬間。
「冬獅郎君、起きてるのー?」
がちゃり、とノックもせずに開け放たれた扉から現れたのは、燦燦と輝く太陽の光と、それと同じくらい眩しい笑顔をした少女。
近づいている気配はなんとなくわかったが、まさかいきなり開けられるとは思わなかった日番谷は、陽光の眩しさと相まって思わず目がくらんだ。
それはほんの一瞬のこと。しかし織姫はその一瞬で、さっと日番谷の布団に近づき、
「朝だぞ、起きろー!」
そう言って、えいっと気合一発、布団をひっくり返した。
その細腕のどこにそんな力を隠していたのか、まさかそんなことをされるとは思っていなかった日番谷が、気付いた時にはすでに遅く、程なくして、ぼてっと情けない音を立てて畳に転がってしまった。
「なっ…………!!」
あまりの出来事に一瞬呆然となるが、すぐに我に返り、がばり、と身を起こした日番谷だったが、
「おっはよー!」
やたらに元気な声で朝の挨拶をした織姫に、今度こそ言葉を失ってしまった。

「………………」
「……あれ?まだ寝てるの?」
「…………寝てるわけないだろうが」
無言の理由を勘違いしたのか、首をかしげて問う織姫に聞こえないように日番谷は呟いた。
「え?」
何か言った?と今度は反対側に首を傾げる織姫に、
「何でもねえよ」
と言い残し日番谷は立ち上がり、おもむろに開けはなれた扉の向こうへと歩き出そうとしたが、しかし。
「待って、冬獅郎君!」
言って織姫は日番谷の『ぱじゃま』の裾を掴んだ。
「――何だよ」
「朝の挨拶は?」
「……は?」
「朝起きたら、ちゃんと挨拶しなきゃだめなんだよ。でなきゃ一日始まらないんだから!」
どこでそんな話を聞いたのか、やけに自信たっぷりに言う織姫。
日番谷は当然、何だその理屈は、と思ったりもしたのだが、
「だからちゃんとしなきゃ、ね?」
そう笑顔で言った織姫の表情にどこか陰りがあるのに気が付いた。

それは、昨日兄の話をしたときの無表情と、どこか似ていて。
おそらく、このことを教えたのも彼女の兄なのだろう。
大好きだったのだろう。大切だったのだろう。
だからこそその兄との約束を、今も守る。
もしかしたら毎朝一人でやっていたのかもしれない。

それはとても悲しくて、そして…………。
(そして……何だ?)
分からない。自分は今、何を思ったのだろう?

「………………」
「冬獅郎君?」
心配そうな織姫の声に、日番谷ははっと我に返った。
「どうしたの?」
「……な、何でもねえよ」
「そう?」
ならいいけど、としかしどこか納得していない様子で織姫は言ったのだった。
        
う〜ん……何だか微妙な感じです。中盤ギャグになってるし(笑)。
まあでも姫は天然スーパーミラクルガール(意味不明)なので、きっと相手が死神界の天才児であっても、これくらいできるるに違いない!(爆)
しかしどんどん長くなるなあ……この話。予定ではこの章で●●●が出てくるところまでいくはずだったのですが。予想以上に……なので、章としては短いのですが、とりあえずキリのいいところで切ることにしました。

……ところで結局日番谷君は『朝のご挨拶』をしたのでしょうか。
そのあたりは皆様の想像におまかせします(をい)。だって想像できないんですよ、「おはよう」って言う日番谷君なんて!……一度打ち込んだ後、やっぱり違うとか思って書き直したりして(笑)