「ここは、どこだ」
むくり、と体を起こし、ひとしきりあたりを見回した後、最初に出たのは、そんな言葉。
そんなことを聞かれるとは思っていなかったのだろう、少女は一瞬、え、と驚いた顔をした。
「どこって」
「だから、ここはどこなのか、って聞いてるんだ」
少なくとも流魂街ではないとは思うが。もしかしたら、という可能性もある。
だから日番谷はあえて場所の名前だけを尋ねた。
「えっと……空座町、だけど」
からくらちょう。耳慣れない名前。けれどこれではっきりした。
流魂街ならその名称をい言うとき、必ず何地区の何番地、という言い方をする。それを言わなかった、ということは少なくともここは流魂街ではないということ。ましてや瀞霊廷でもない。
(……つまりここは、十中八九現世、ってことか)
あんまり信じたくはないが、どう考えてみてもそうとしか思えない。
何故こんなところにいるのかという疑問は残るが、いつまでもここにいる理由もない。
だからとにかく帰るべきだ、と日番谷は考え、ふとあることに気づき、隣で自分を覗き込む少女の顔をちらり、と横目で見た。
(……ちょっと待て)
少女は日番谷が先ほどからずっと考え込んでいるのをじっと見つめている。
どこか心配げに、そしてどこか不思議そうに。
(……俺が見えてる……んだよな)
死神である自分が見えるということは、よほどの霊力の持ち主なのか。
だが、目の前の少女からはそれほどの霊力は感じられない。全くないわけではないが、それでも死神が見えるほどでもない。
ならば何故、少女には自分が見えるのか。
そんなことを思い、日番谷もまた少女をじっと見つめ返す。
すると。
「……ねえ。どこか気分でも悪いの?」
ひょっとして怪我でもした?心配そうに、少女はそう聞いてきた。
どうやら町の名前を聞いてから、その後ずっと無言でうつむいている日番谷を、具合でも悪いと勘違いしたらしい。
ああ、と日番谷は答えたあと、ふと気がついた。
自分を見つめる少女の顔。そこにわずかに、濡れた跡が残っているのを。
(……泣いて、たのか?)
そういえば、声もどこか涙声だった。そう、意識がはっきりしない時に聞いた時から。
つまりはこの少女は、それまでずっと泣いていたのだろう。
何故、泣いていたのか。しかも、一人で。
そう日番谷が思った、その時。
ズキン。
鈍い痛みとともに、頭の中で声が響いた。
『お前に足りないもの……今のお前自身が無くしている、いや忘れている"何か"を見つけ出すのだ、日番谷よ』
よいな、と用件だけを告げ、すぐさま氷輪丸の声は消える。
(何かって……)
あまりに一方的な話に日番谷は何なんだ、と言いたい気分になったが、言っても始まらないとため息をだけをついた。
どうやったかは分からないが自分がここにいるのは氷輪丸の仕業らしい。そして何だか分からないが自分が忘れている何かを探せ、と。
(……仕方ねえな、やってやるか)
ならば、ここにいても意味はない。正直言って、疑問はまだ残るし、氷輪丸に対する怒りや疑念もある。だが、少なくともこれが氷輪丸の仕業である以上、何か、を探せというからには動かねばならないだろう。
そう考え、日番谷は立ち上がる。その素早い動きに少女が一瞬驚いた表情をするのが目に入った。
まあ確かに当然か。先ほどまで倒れていた者がいきなりがばっと起き上がったりすれば、誰だって驚く。
(……とりあえず礼ぐらい言うべきか)
一応助けられた、というより起こされたようだから。
そう思い、日番谷は少女に向かって、告げた。穏やかに。そして柔らかに。
「……その。助けて、というか起こしてくれて有難う、な」
そしてすぐさまきびすを返し、歩き出そうとした。だが。
「……待って!」
「なっ……」
ふいに腕をつかまれ(このとき日番谷は初めて自分が死覇装ではなく、現世風のいわゆる洋服を着ているのに気がついた)、まさか触れられるとは思わなかった日番谷は、思わずその腕を強く払ってしまった。
「っ……!!」
咄嗟の行動のため、思ったよりも強い力が働いたのだろう、少女は痛みに顔をしかめた。
「あ、その……悪い」
「……大丈夫。いきなりつかんだ私が悪いんだし。……けど、それより」
「それより?」
一体何だというのか。
「それより、……名前」
「名前?」
「そう、名前。まだ聞いてないから」
「何で……」
何故、わざわざ名前を聞くのか。その理由が分からない日番谷はそう、聞き返す。だが少女はそれには答えず、はっきりとこう、告げた。
「私は、織姫。井上織姫だよ」
織姫。確か、それは現世に伝わる星の名だったか。
いつだったか幼馴染の少女が言っていた、七夕の日の伝説。
(一年にたった一日しか会えなくても、いつも相手を信じていられる。遠く離れていても、いつも相手を想っていられる)
私もそんな風な恋がしたいと、いつも彼女は言っていた。
そんな伝説の恋人と同じ名を持つ、少女。
「キミは?何ていうの?」
少女は――織姫は自分の名を告げた後、再び日番谷に問う。
正直、日番谷には別に答える義理はないと、思った。起こしてもらったのはとりあえず感謝はしていたが、だからと言ってわざわざ名前を教える理由は無いと。
そう言って、さっさと振り払ってしまえばいいと、そう思っていた。
だが、しかし。
日番谷は何故かそうすることが出来なかった。
どこか気持ちの奥底で、そうできない"何か"があった。
だから。
俺は、と少しためらいがちに言った。それを聞いた織姫はうん、とその続きを促すようにうなづく。
「俺は、俺の名前は……日番谷……日番谷、冬獅郎」
「ひつがや、とうしろう?」
珍しい名前だね、と織姫は呟いた。さらに、字面を聞かれ、答えてやると、似合ってるね、とも言った。
そして。
「ねえ、冬獅郎君」
「――――な」
「?どうかした?」
「あ、いや」
冬獅郎君。まさか、いきなり、名前を呼ばれるとは。
日番谷は記憶する限り、自分をそう呼ぶ者は周りにはいなかった。死神になってからはほとんど苗字だったし、それ以外の知り合いや家族モドキたちは皆、雛森がかつてそうだったように『シロ』だったから。
だから少し驚いた。別に不快ではなかったが、どこか妙な感じだった。
だが織姫は、そんな日番谷の気持ちに気づいているのかいないのか、にっこり笑ってこう言った。
「ねえ、冬獅郎君。うちに来ない?」
一緒においでよ――と、やけに明るい口調で、そう言った織姫に、今度こそ日番谷は言葉を失った。
『冬獅郎君』。やっと呼ばせることができました。
思えば姫にこう呼ばせたいがためにこの小説書き始めたんだので……(マジ)
感無量です。このまま終わらせてもいいくらい(ヲイ)。
……とまあ冗談はさておいて。まだまだ続きますです。