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「――――はい、どうぞ」
かちゃり、という音ともに、そこに置かれたのは。
ほかほかと湯気をたてる湯のみ。その中に入っているのは当然、お茶だ。
「最近入れてなかったから、あんまりおいしくないかもしれないけど」
織姫は心なしか寂しそうにそう、言った。

ここは、織姫の部屋だった。
小さな集合住宅――日番谷の記憶によれば、確かアパートというものか――の、とある一室。
あの爆弾発言のあと、呆然としている日番谷を半ば強引に連れ込んだ織姫は、さっさと台所に入っていき、あっという間に湯を沸かし、二人分のお茶を入れた。
日番谷はその間しばらく玄関で呆けていたのだが、台所からやけに明るい鼻歌が聞こえてきたので、もうどうにでもなれ、というようにため息をついて上がることにしたのだった。

そうして今、日番谷の目の前には、白い湯気がたった湯のみがある。
だが、日番谷はそれを手に取ろうとはせず、しばらくじっと見つめていた。
織姫もまた、自らの目の前に湯のみを置いて、じっと黙って日番谷の様子を見ていた。

どれくらいの時間、そうしていたのだろう。
一瞬だったような気もすれば、かなり長い時間だったような気もする。

「――――っ……何、で」
奇妙な静寂に耐え切れなくなったのか、先に口を開いたのは、日番谷。
「?」
「何で、俺をここに連れてきたんだ?」
「――え?」
何でって、何が?と、思いも寄らない質問だったのか、織姫は大きく目を見開いて、言った。
「何が、じゃない。俺をここに連れて――引っ張ってきたのは何でかって聞いてるんだ」

今日会ったばかりの、しかも得体のしれないガキ(自分で言っていて情けなくなるが)を、何の警戒心も無く、あっさりと家にあげるなんて。
周りが全部他人で、年がら年中新しい住人が増えていく流魂街ならともかく、現世ではそんなことは、普通はしないだろう。
だから何か、理由があるはずだと、日番谷はそう思っただが。

「…………う〜ん…………なんとなく、かなぁ」
だが、しかし。何度か首をかしげたあと、織姫はそう、呟いた。
そして、さらに。
「うん、なんとなく、だよ。やっぱり」
と、続ける。最初の一言で絶句した日番谷は、次の一言で今度は飲み込みかけた言葉をぐっと詰まらせた。

「なっ……なっ…………なっ……」
「な?なな?」
「……な、なんとなく、って何だ、それは」
「何だって…………なんとなくはなんとなく、だよ」
「…………だからっ」
そうではなくて、と言おうとする前に。
「じゃあさ、なんで冬獅郎君はあたしについてきたの?」
と、織姫は逆に質問してきた。

「……え?」
まさか質問しかえされるとは思っていなかった日番谷は、しかしそれでも何とか言葉を紡ごうとするが、しかし。
(……俺がついてきた……のは)
正確に言えば連れてこられた、のだが、対して変わりはしない。日番谷が本気で嫌だと思うなら、どうにかしてでも振り払ってしまえばよかったのだ。
それなのに、織姫と一緒にここまで来た理由は。
(…………………)
理由なんて考えられない。
ただ何故か、このまま別れてしまうのは、ためらわれる、そんな気がしただけだ。
何故そんな気になったのかは、日番谷にも分からない。
そう、それこそまさに、
「…………なんと……なく……」
としか言えなかった。
そんな日番谷の言葉に織姫は、
「――――でしょ?」
ほら、おんなじじゃない、そう言って笑うのだった。

「…………」
そのあまりの無邪気というか、毒気のない笑顔に、日番谷は言葉を失うと同時に、そういえば、とあることを思い出した。
(そういえば、コイツ、泣いてたんじゃなかったのか?)
確かに顔に濡れた跡があったような気がするのに。それに、先ほどお茶を入れたときも、少し影のある表情だった気がするのに。
それらが全部見間違いだったというのだろうか。
しかしこれほど明るい笑顔を見せられては、そうとしか思えない。
そんなことを思いつつ、織姫の顔を見ていると、
「あたしの顔に何かついてる?」
「え、あ、いや、別に」
「そう?ならいいけど。それよりも、お茶」
「お茶?」
「そ。冷めちゃうから早く飲んでね」
「…………」
またしてもニッコリと微笑んで言う織姫に、日番谷はやはり何も言えずにがっくりとうなだれ、それでも今度はおとなしく湯のみを手に持ち、ゆっくりと口元に近づけ、こくり、とお茶を一口含んだ。
そうして顔を上げてみれば、日番谷の様子をじっと見ている織姫と視線が合った。
「……?」
その視線に意味ありげなものを感じた日番谷は、そっと湯のみを口から離し、何だ、と問いかけた。
「ううん、別に」
何でもないよ、と首を振る織姫。その顔に浮かべているのは、先ほどまでの無邪気な笑顔ではなく、少し悲しげな表情。
それは、あの空き地で初めて見た織姫の表情だった。
(てことは、やっぱり泣いていたんだな)
理由は分からないが、少なくとも見間違いではなかったらしい。
そんなことを思いながらふと、自分が手にしていた湯のみを見た。

ごくふつうの、湯のみだった。
大きさとしては、大きいもの。柄は無く、鈍い色がやけに地味というか、しぶい印象の、そんな湯のみ。
客用にしてはやけに地味すぎる。少なくとも自分は客とは言えないが、これはどう見たって家の普段使いにしそうな湯のみのような気がした。
かといって織姫の趣味というわけではないらしい。その証拠に織姫の方の湯のみは、花柄だか星柄だか分からないが、とにかく小さな柄がついている。それに色もこの湯のみと比べれば派手だった。

(ってことは他に誰かが住んでるってことか)
考えてみれば当たり前の話だった。目の前にいる少女は雛森と同じ――いや、それより少し年下に見える。少なくとも現世では、親と同居している年齢だ。
(けど、待てよ。確かさっき……)
――――お茶入れるの、久しぶりだから。織姫はそう言っていたのではなかったのか。
単にこの家に住むほかの誰かが入れているから、という風にも取れるが、その時の織姫の表情からしておそらくそういう意味ではないだろう。
十中八九、織姫はこの家で一人で住んでいるに違いない。
(…………てことはこの湯のみは誰のだ?)
そんなことを思い、日番谷は湯のみをクルクル回す。すると、突然織姫がハッと表情を変えた。

「な、何だ。一体」
その驚きように日番谷の方があわててしまう。まさかこれがむやみやたらと高い品物だったというのだろうか、などと思わずいらぬ心配をしてしまった。
(まさかそんなものを少なくとも今日いきなり家に入れたヤツに出さねえとは思うけど)
この目の前の少女ならやりかねないかもしれない、と日番谷はかなり失礼なことを思った。
だが、織姫の驚きの理由は違ったようだ。すぐに表情を戻し、
「お兄ちゃんとおんなじ」
「え?」
「――今の仕草。お兄ちゃんも同じことやってた」
「…………」
お兄ちゃん。いきなり出てきたその単語に日番谷はああ、と納得した。
(つまりこの湯のみはその『お兄ちゃん』とやらの物で、よくクルクル回していた、と。だから驚いた、ってことか)
そこまで考えて日番谷はある事実に気が付いた。
「同じことやって…………た?」
思わず声に出してしまい、あわてて口を押さえるがときすでに遅し。
「ああ、うん、そう。もういないの、お兄ちゃん」
ついこの間、死んじゃったんだ――そう呟いた織姫の顔に浮かんでいたのは、明るくもなく暗くもない、いわば何の感情もない表情だった。
        
久々の日織。えーと、くどいようですけどこれは一護が死神になる3年前の話です。だから姫のお兄さんは亡くなったばかり。なので姫の表情がコロコロ変わるのはまだ立ち直ってなくて精神的に不安定だから、と思ってください。

ちなみにこの章は、日番谷の回想というか、過去の記憶の話も入れる予定だったのですが、思った以上に長くなったので斬りました。ということで次の章になります。