青 葉 時 雨
 桃と冬獅郎は幼馴染みであるけれど、”仲が良かったのか”と問われれば、苦笑いを返すしかない。
 昔を思い返してみれば、仲が良かったというより桃が一方的に冬獅郎を構っていた記憶しか浮かんで来ず、幼かった頃よりも今現在の方が話すようになっているくらいだ。
 幼い頃の冬獅郎は本当に無口で、また闇を好むところがあって、いつも一人で居たように思う。
 そんな冬獅郎と何とか話をしようと桃は一生懸命に彼の隣で喋ったし、日の光の元へと無理矢理に連れ出したりもした。
 今にして思えば、なんと冬獅郎の気持ちを考えない行動だったのかと頬が熱くなるけれど、間違っていたとは思わない。
 一生懸命話し掛けた成果はといえば、殆どなかったように思う。大抵が無視という形で返されて、しょんぼりと肩を落としたものだった。それでも諦めずに話しかけ、”シロちゃん”という呼び名を開発した辺りから、少しずつではあるけれど返答率が上がっていき、桃が死神になるため故郷を離れる頃には、十分の一くらいだった返答率が、五分の二くらいまで上がっていた。
 お互いが死神になってから再会してからは、驚いたことに、無視されることのほうが珍しくなった。
 声を返されないということはまだ多々あるけれど、声のない代わりに冬獅郎は眼や眉や頬や掌で返事をするようになった。
 これは昔の冬獅郎にはなかった芸当で、桃は心底驚いた。
 いったい、離れていた間、何が彼を変えたのだろう。
 聞いてみたい気がするけれど、聞きたくないような気もして、桃は一度もそのことを尋ねられないで居る。
 それはきっと、意地のようなものだ。
 だって桃があんなに話掛けても変えられなかった冬獅郎のことを、桃と過ごしていた年月よりも冬獅郎と短く共にあったのだろう誰かが(もしくは何かが)変えたのかと思うと、心がちくりと痛むのだ。
 今、恋を交し合ったからこそ、なおさらに。










 例年よりも随分と遅い梅雨明けを向かえ、季節は一気に夏めいて行った。
 つい先日までのいっそ肌寒い空気とは一変して、今は少しでも気を抜くと茹ってしまいそうな気候だ。いきなりの気温の変化にか、蝉の音はまだ聞こえない。
 太陽光に熱せられた湿度の高い空気の中を、桃と冬獅郎は何人かの同僚と歩いていた。
 商業地区へ、急に必要になった備品の買い付けに行った帰りである。
 木陰を選んで歩いているので陽射しは気にならないとはいえ、身の回りをじっとりと包み込む空気には全員が閉口していた。文句の言葉も一つ出てこない。夏が苦手な冬獅郎に至っては、買出しに赴いてからたったの一音すらも紡いでいない。
 携えた大荷物が、急激な気温の変化に弱っている体力をさらに奪っていく。
「もう少しだから頑張ろう」
 そう言いながら桃が持っていた荷物を右から左に持ち直した。爽やかに笑ってみせたその額には、けれど汗が滲んでいて、桃もなかなかに参っていることが覗えた。
(風でも吹いてくれたらいいんだけど…)
 いや、吹いたとしても生ぬるく空気に雑ざるだけだろうかと、桃は大きなため息をついて、冬獅郎の背に視線をやった。冬獅郎はずっと一番前を歩いている。
 少しくらい隣に来てくれたっていいのにな、と公私混同を嫌う雛森が、夏の暑さにか心の中で呟いた瞬間。
 風が吹き抜けた。
 強く、僅かにでも涼を運ぶような風が。
 ざわりざわりと、歓ぶように木々が揺れた。
 そして、ぽつぽつり、と水の欠片が落ちてきて。
「げ、また雨か?」
「うそー、勘弁」
「荷物どうすんだよ…」
 違うよ、と首筋を抑え疲れたように天を仰ぐ同僚たちに返そうとした桃の声は、しかし放たれることはなかった。



「あおばしぐれ」



 ぼそりと呟かれた自分の声でない言葉に、桃は勢い良く冬獅郎を振り返った。
「あおばしぐれ?」
 同僚が聞き返す間もなく、冬獅郎はすたすたと先を歩いて行ってしまう。
「あ…青葉時雨っていうの、こういうのを」
 冬獅郎を気にしながら、桃が早口に補足する。
「葉っぱに溜まった雨が、風なんかで木が揺れたときにぽたぽた落ちてくることを言うの」
 言葉の意味を要約して伝えると、同僚たちは目を丸くして、へぇと関心したように呟いた。
「青葉時雨」
「綺麗な言葉ね」
 桃はそれにこくんと一つ頷くと、同僚たちを置いて冬獅郎を追いかけた。桃と冬獅郎が付き合いだしたことは、隠しているつもりだったけれどもう知られてしまっているようで、誰も引き止めたりはしない。それが有難いようにも恥ずかしいようにも思えて足が止まりそうになったけれど、桃は遠くなってしまった冬獅郎の背に向かっていった。
 だってだって、青葉時雨は、桃が冬獅郎に無視されても喋りかけていたときに放った言葉の一つだったのだ。
 少しでも冬獅郎に興味を持って貰えるようにと、あの頃の桃は一生懸命に話題を探していた。”綺麗な言葉”は、そうして見つけた中の一つだった。
 自惚れなのかもしれない。
 言葉を知る機会は幾らでもある。
 冬獅郎は暇つぶしには寝るか本を読むかするような人間であるから、あのときの言葉を覚えていたのだと考えるほうが可笑しいのかもしれないけれど。
 ずっと、自分の声は聞き流されるどころか耳の手前でシャットアウトされているのだとばかり思ってきたから。
 それに落ち込んでばかりいたから、確かめたいと、そう強く願ってしまう。
 追いついた冬獅郎の背に腕を伸ばして、背中の布地を掴んだ。黒は熱を吸って、人の体温ほどに熱を持ってる。冬獅郎の足がゆっくりと止まった。素早くその間に隣に並ぶと、冬獅郎の足が踏み出された。
 そのまま暫く二人、並んで歩く。
 どうやって尋ねようかと思案した桃は、少し卑怯な尋ね方をしてみることにした。
「他には何か覚えてる?」
 主語も何もかもすっ飛ばして、尋ねる。冬獅郎に心当たりがあればきっと答えが返ってくるし、心当たりがないなら緑の眼が眇められるだろう。
 冬獅郎の端正な横顔をぴくりとも動かさないままに、淡白に口を開いた。
「…………朝涼…」
 そうして冬獅郎はひとつふたつと、桃から齎された言葉を並べていった。
 そのたびに愛しさがひとつふたつと増していって、桃は恥ずかしそうに、はにかむように、その緩やかな頬を赤く染めた。




相互リンクさせていただいている『空色郵便』仁志円寿さんのサイトより頂いてきました暑中見舞い小説です。
日番谷さんが可愛らしいというか何と言うか。無表情だけど実は照れないかとも思ったりしてwwww

円寿さん、いつも素敵な小説を本当にどうもありがとうございます!(^o^)