You took me out under sunshine
























太 陽 の 下














「たーいちょ。そんな暗いところで本読んでると目悪くしますよ」
 隊首室の端、明り取りの窓のある壁際の、日の当たらない場所に床に直に腰掛ける上司に向けて乱菊が忠告をすると、「うるせぇ」と本から顔を上げないままに答えが返った。
「でも」
「俺の勝手だろ。放っとけ」
 取り付く島もない態度に、乱菊は暫く手を当てて思考を始めた。それは決して『どうすれば上司の視力低下を防げるか』を考えるためではなく、『どうして上司がこんな態度を取るのか』を考えるためにだ。
 実はこうして乱菊が日番谷の視力低下を愁うるのは初めての事ではなかったりする。
 日番谷が暗がりで何らかの作業をしているというのは十番隊では度々見かける光景で、乱菊はその度に日番谷に注意を呼びかけるのだけれど、毎回毎回素っ気無いというよりは『構うな』的なオーラを放たれるので、何をそんなにムキになっているのかと前々から疑問に思っていたのだ。
 いつもの日番谷ならば、これほどまでに同じことを繰り返されると「以後気ヲツケル」などとこれぽっちも心の篭っていない適当な返事を寄越すことで回避するというのに、この件に関してだけはいつまでも同じ態度をとりつづけるのは何故なのか。
 今日はたまたまこれから帰るだけ、という状態なので、乱菊はのんびりと頭を働かせる。まあ要するに暇なのだ。
 そんなことは露知らず、日番谷はしかめっ面のままで本をぱらぱら捲っている。
 暫くして取り纏まった考えに、乱菊はぽんと一つ手を打って、それから行儀悪くも日番谷に向けて人差し指をびしりと向けた。
「眼鏡かけてモテるつもりですね」
「あぁ?」
 あまりにも突拍子のない言葉を向けられて、思わず日番谷が本から顔を上げ乱菊を睨みつけた。
「現世では眼鏡男子が大層モテるらしいので」
「くだらねぇ」
 日番谷は一刀両断した。
「眼鏡なんてただの視力補助の道具だろ」
「まあ、あたしにも良く判らない世界ではあるんですけど」
「お前は藍染に魅力を感じるのか」
「”男女の仲”の”男”として、と聞かれるならノーです、あたしはね。上司としてはこの上なく魅力的ですけど」
「それは眼鏡と関係ねぇだろ」
「あら」
「疲れてるならさっさと帰って寝たらどうだ、松本副隊長」
「隊長に労われるなんて滅多にないことですから、今日は大人しく引き下がります」
 それではごきげんよう、とにっこり笑って乱菊は隊首室を去っていった。
 はあ、とその無駄に陽気な背中に日番谷はこっそり溜息をつく。
「寝惚けんのは家に帰ってからにしろっつの」
 実は三日の完徹を乗り切ったばかりの副隊長なのであった。




















 優秀な副官(嫌味だ、嫌味)はあれこれと、自分がどうして暗がりで作業をするのか考えていたようだけれど(そして非常にくだらない答えに行き着いたようだけれど)、理由は単純にして明快だ。
 ただ単に、日番谷は昔から暗いところを好んでいただけのこと。
 副官以下隊員たちは暗がりで作業をしている自分が良く目につくようだけれど、出身の村ではあまりにも暗がりから出ない自分を周囲が『モグラ』と揶揄していたのだから、現在は随分とマシになった方なのだ。



 日番谷は思考しながら本のページをぺらりと捲った。そのまま数ページ捲っていく。実は既読している本なのだ。読み飛ばしたところでもう内容は頭に入っている。お涙頂戴のありがちなラブストーリーは、某幼馴染みに押し付けられなければ一生読むことのなかったものだろう。



 どうしてあんなにも暗がりに執着していたのか、日番谷は今となっては思い返すことが出来ない。
 光が嫌いだったわけではないと思う。
 というかむしろ、『嫌う』という感情を抱ける段階にあの頃の自分はなかったように思う。
 暗がり以外を、日番谷は知らなかった。
 心地よい場所を知っていたから、特にそれ以外は必要なかった。
 闇は。
 しんと静まり返り。
 ひんやりと冷たく。
 視界を不透明にし。
 ただ無機質に自分を包んでいた。
 自分だけを包んでいた。
 今、このときのように。
 光は手の届かない場所にあって、そういう場所を日番谷は好んだ。
 それでいいと思っていた。此処こそが自分の居場所なのだと、信じていた。



 ページを無為に捲るのに飽きて、今度は行を指先で辿っていく。勿論、読むためではない。手慰みのようなものだ。
 指先はやがて、カギカッコ付きの孤独という単語に触れた。
 独りでいるのが好きだったのだ、と過去の自分が唐突に日番谷の中に戻ってきた。



 暗がりの中では、近くに誰がいようとも、日番谷は独りだった。
 顔が良く見えなかったし、気配もどこか朧げだったし、声が聞こえてもそれは自分に向けられたものではないと思うことが出来た。
 そうだ、自分は。
 人と関わることを厭っていたのだ。
 欲しいと願ったことすらない特殊な能力で、誰よりも周囲を見渡し見透かすことが出来たけれど、そのせいで日番谷は誰よりも人の醜さを鮮明にその碧の瞳に映す羽目になった。
 人に、絶望していた。
 だから暗がりが好きだった。
 人と関わることに否定的な考えを持つ自分を無口に肯定してくれるから。
 見たくもないものを不鮮明にしてくれるから。
 透明な傷口を、しんと冷やしてくれたから。
 あれ以上に心地よい場所を、日番谷は知らなかった。
 知ろうともしていなかった。
 必要ないとすら、思っていた。
 だから馬鹿みたいだけれど、モグラになりたいと真剣に考えたことがある。
 モグラになれたなら、誰も暗がりで佇む自分にちょっかいをかけてこないどころか、むしろそこに留まることを肯定してくれると思ったから。



 何時の間にか止まっていた指先が無意識に動き出す。すらすらと文字を追い上下する指先が、またカギカッコで囲われた文字に触れた。
 このストーリーの中で『孤独』と対になって使われる言葉。
 何度も何度も繰り返し、繰り返し、語りかけられた言葉。
 それは……。




















「また『モグラ』に逆戻り?」




















 突然耳を通り抜けた声に日番谷が顔を上げる。
 部屋の入口のところで雛森が、困っているような呆れているような微笑を浮かべて立っていた。
「………何か用かよ」
「乱菊さんに教えて貰ったの。日番谷君が率先して視力を低下させようとしてるって」
「………」
 ちぃっと日番谷は忌々しげに舌打ちをした。本当にあいつは余計なことしかしやしない。
 日番谷は雛森から目を逸らし、本に視線を戻した。そんな日番谷のシカト体勢にもめげずに雛森が声を注いでいく。
「外、すごくいい天気だよ」
「それで?」
 ぱらり、とページを捲った。
「内に篭ってたら勿体無いよ」
「へぇ」
 ぱらぱらぱら。
「お日様ぽかぽかだし」
「ふーん」
 ぱらぱら…ぱらぱらぱら。
「風も丁度いい感じだし」
「そりゃよかったな」
「もうっ!」
 わざと立てられているだろう荒い足音が近付いてきて、ぐいっと腕を力任せに引っ張られた。
「なに」
 すんだよ、と続けようとしてけれど、真正面からぶつかった瞳のあまりの柔らかさに日番谷は言葉を失った。
「シロちゃんは世話が焼けるんだから」
 過去と今が、咄嗟に日番谷の目の奥で重なった。
 遠い昔。
 これと同じアングルで、これと同じ言葉を放たれたことがある。
 覚えている。
 忘れるはずがない。
 忘れられるはずがない。
「はい、行きますよ」
「離せ」
 まるで悪餓鬼を宥めるような口調にムカっと来て腕を払い落とそうとするけれど、思ったよりもがっちりとホールドされていて逃げ出すことは叶わなかった。雛森は割と力持ちなのだ。
 途中本を落としたことも交えながら悪態をついたけれど、そんなのにはお構いなしにずるずる外へと引きずられていく。
 隊首室の入口を潜ったあたりで逆らうのも馬鹿馬鹿しいと思い、雛森に従うように縁側に出た。
 春の日差しが目の前を掠めていく。
 そのまま、草鞋も履かせてもらえないまま中庭に出た。
 空から降り注ぐ数多の光に。
 眩しくて、目を眇め。
 瞼の上に手を翳した。
 この感覚を、日番谷は知っている。



 暗がりに浸り依存していた自分を、今さっきみたいに雛森は強引に外へと連れ出した。
 日光に当たらないと大きくなれない、とかなんとか、嘘なんだか本当なんだか判らない言葉を並べ立てて。
 そうして引っ張り出された外界は、まず手始めに暗がりに慣れきっていた目を射った。圧倒的なまでの日の光は瞳の隅々にまで染み入り、視界を取り戻すまでに長い時間がかかった。
 目を閉じている間、上と下くらいしか解らないでいた自分と、雛森はずっと手を繋いでいた。
 体があったかいでしょう。心がぽかぽかするでしょう。気持ちいいでしょう。
 にこにこと笑っているだろうことが一目瞭然の声で、日番谷が目を開けられるようになるまで雛森は声を掛け続けていた。
 きらきらしてて、すごく綺麗だよ。きっと日番谷君も好きになると思う。
 そう続ける声は、絶対的な自信に満ち溢れていた。
 それなのに傲慢な響きなどない、ただただ透明な声だった。
 だから。
 だから、信じたくなったのだ。
 その声の紡ぐ言葉が真実であると。
 そして日番谷は瞳を開けた。
 自分が心地よいと信じていた場所とは正反対の場所を、その碧の瞳に映すために。



「ほら、いい天気でしょ」
 あの頃よりも少し落ち着いた声が耳朶を擽って、それを合図にするかのように日番谷はそっと目を開けた。
 ぶわりと音を立て急速に世界が広がっていく。
 見上げた空の水色は、そのほとんどが雲の白で覆われていたけれど、太陽はさんさんと輝き光を降り注いでいた。
 眩しくて、もう一度目を眇める。
 成る程。雛森がいうとおりの『いい天気』だ。
 光は、すべてに降り注ぐ。
 雲にも、風にも、木にも、土にも、日番谷の頭の天辺から足の爪先までにも、満遍なく降り注ぐ。
 目に見えはしない、心にすらも。
 そうでなかったら『いい天気』と微笑む人間など存在しないはずだ。
 雛森が自分を連れ出したのだ。
 この場所に。
 日の差し込む場所に。
 太陽の下に。
 こんなにも美しい世界があるのだと。
 人の性は醜いばかりではないのだと。
 日番谷はずっと知らなかった。
 雛森が教えてくれた。
 あの日雛森が強引に自分を連れ出してくれなかったなら、きっと一生知ることのなかった世界。
 思わず落としてきてしまった本に触れさせていた指先が最後に読み取ったのは、『希望』の二文字。
 希望に触れていた指先を、雛森の指先が不意に捕まえた。
「内に篭ったままじゃ勿体無かったでしょう?」
 お昼寝日和だしね、と雛森が気持ちよさそうに空に向けて伸びをした。指先は繋がれたままだったから、日番谷の右手も一緒になって伸びをする。
 日差しの下の昼寝があんなにも心地よいものだと知ったのも、雛森が強引に腕を引いた日に知ったこと。
 だけど、太陽の下が気に入った理由は、それじゃない。




















 暗がりの黒よりも、太陽に照らされた雛森の瞳の黒を見ているほうがいいと、思ったから。




















 だから日番谷は『モグラ』になる夢を諦めて、今、太陽の下、雛森と手を繋いでいる。
「どうしようもねぇの」
「え?なに?」
「なんでもない」
 雛森を好きになったのは光の世界へ腕を引かれたあの日だと思っていたのに、思い返してみればあの日によりも前に雛森を好きになっていただなんてお笑い種もいいところだ。
「とにもかくにも、今度から本なんかを読むときは明るいところで、ね?」
「そりゃ無理だ」
「どうしてよー」
 ふくりと頬を膨らます雛森に、お前幾つだよ、と頭を小突いた。
 暗がりは日番谷にとって古巣のようなものだ。
 だからふと懐かしくなり恋しくなり、日番谷はこれからも暗がりに閉じこもるだろう。
 けれど、きっと何度でも、雛森が連れ出してくれるはずだ。
 光溢れる太陽の下へ。
 そう、信じられる程度には。
「雛森」
「うん?」
「好きだ」
 穏やかな黒の目がこんな風に和らぐのが自分の目の前だけだということを、日番谷はちゃんと知っている。













【end】





相互リンクさせていただいている『空色郵便』仁志円寿さんのサイトより頂いてきました四拾萬打(!!)記念の日雛小説です。
十番隊コンビの掛け合い(笑)がステキです。
そして最後の『好き』が!かーっ!て感じです(何)うわーもう!かっこいいよ日番谷さん!(大爆)
円寿さん、いつもいつもステキな小説本当にありがとうございますww