Schneewittchen
「ただいまー!って…………あれ?」
井上織姫は学校から帰宅するなり、首をかしげた。
何故なら、テーブルの上にそこに見慣れないものがあったからだ。
見慣れないものといっても、物自体はごくポピュラーなもの。
これは何かと尋ねられれば大抵の人が間違いなく答えられると思われるであろうほど、ごくごくありふれたもの。
――――けれど。
「……何で、こんなところにあるんだろう……?」
しかも、2つ。それも、赤と緑の二種類。
何故か緑の方は青と言ったりもして、未だにそれが納得できなかったりもする織姫だったが、そんなことはさておいて。
目の前にあるのは、間違いなく林檎に違いなかった。
テーブルの上に置かれた、2つの林檎。その意味するところは、何なのか。
織姫はしばらく考え、そして出した結論は。
「ん〜と、そうだ!きっと空から降ってきたんだ!」
「――んなわけねえだろうが」
ポンッと手を叩いて結論を出した織姫に、後ろから呆れたような声が掛けられる。
全く気配を感じさせないで発せられたその声に、しかし織姫は動じずくるりと反転し、
「えー、違うの?絶対にそうだと思ったのに」
声を掛けた相手――日番谷に向かって心底残念そうな顔で言った。
(……おいおい)
無邪気といえば聞こえはいいが、本気で信じているならかなり問題がないか。
そんなことを思った日番谷が訂正の言葉を発する前に、
「じゃあ、何でこんなところに林檎があるの?」
織姫はあっさりと思考を切り替えて日番谷に問いかけてきた。
そのあまりの速攻に日番谷は一瞬驚いたが、すぐに持ち直して、
「松本が買ってきた」
ごくごくシンプルに、状況だけを回答した。
「乱菊さんが?何で?」
「何か知らんが急に食べたくなったんだと」
「ふーん。で、その乱菊さんは?」
ぐるっと見回しところ、家の中にはいないようだ。
まあ最もどうも死神たちは気配を隠すのが得意なようで、先ほどの日番谷のように後ろからいきなり現れたりすることも日常茶飯事だったりするので、今見えないからとはいってもあてにはならないのだが。
「上だ」
日番谷が、上を指しながら言った。
「……って屋上?」
織姫の問いに、日番谷とは頷く。
「何で?」
「知るか。ただきっちり林檎は持ってったから、1人で食べるつもりなんじゃないのか」
「…………ふーん」
微妙に納得できない気もしたが、当人をよく知る日番谷が言うからにはきっとそうなのだろう。
普段は何気ない風を装っていても、この2人の間には見えない絆がしっかりとつながっているから。
「赤い林檎と、青い林檎、か……何か懐かしいなあ」
「……?」
ふと織姫がもらした一言に日番谷は訝しげな表情を浮かべた。
「冬獅郎くん、『白雪姫』って知ってる?」
「聞いたことはある」
雛森が何やらお姫様が出てくる話が好きで、幼い頃はしょっちゅう聞かされた。かぼちゃの馬車だの、100年の眠りだの、そんな話をやたらと聞いているうちにどれがどれだか分からなくなってしまったのだが、確かにそういう名前の話はあったような気がする。
「あれに林檎が出てくるでしょう?毒が入った林檎」
「…………」
そういえばそんな話だったかもしれない。
「でね、あたしその毒林檎ってこれだと思ってたんだ」
言って織姫が手に取ったのは青い林檎。
「だって、林檎って大体赤でしょう?絵を書いた時だって赤に塗るし」
「まあ、確かにな」
「だから食べられる林檎は赤くて、毒が入っている林檎は青いんだと思ってたの」
青い林檎を手の上で転がしながら、織姫はぽつりぽつりと語り始めた。
白雪姫の話が大好きだったこと。
けれど、毒の林檎を食べてしまうところは怖くて、必然的に魔女が林檎を作っている部分も読んだり聞いたりはしないようにしていたこと。
ある日兄と八百屋に買い物に行った時に、いろんな種類の林檎の中にあった青い林檎を見て大騒ぎしたこと。
けれどその後、青い林檎を買って食べたこと。
「今思うとすっごく馬鹿みたいなんだけどね」
ちゃんと話を聞いていれば、魔女が真っ赤な林檎を作っていたことが分かるし、そもそも一つだけ違う色の林檎があったなら、さすがの白雪姫だって食べないだろうに。
幼い子どもとはいえ、毒林檎だと叫ばれては八百屋もいい迷惑だっただろう。
思い出したら少し恥ずかしくなって、思わず織姫はうつむいた。
(……あれ?)
そういえば、散々大騒ぎした後にどうして青い林檎を買って食べることになったのだろう。
火がついたように泣き叫ぶ自分を前に、兄と八百屋の店員が途方にくれていたのをかすかに覚えている。
毒が入っていないと言われても納得できなくて、ずっと泣いていたはず。
なのに、どうして買って帰ることになったのか。
(そうだ。確か、お兄ちゃんがあの時……)
「……今は」
「え?」
ふいにかけられた声に、顔を上げてみれば、そこには日番谷の顔があった。
「冬獅郎くん?」
「……今は、食べられるのか?」
「え?あ、うん。もう全然大丈夫だけど」
何でそんなことを聞くのかと思いつつも返答した織姫を見て、
「そうか」
そう言って安心したように息をつく日番谷。
どうやらあまりに考え込んでいたので、心配させてしまったらしい。
こんなところを見ると日番谷の優しさがとてもよく分かる。
普段はぶっきらぼうでそっけないけれど、大事なところでちゃんと守ってくれるような、優しさ。
それはまるで――――。
「あ、思い出した!」
「は?何をだ?」
考え込んでいたと思ったらふいに叫んだ織姫に、日番谷は訝しげな表情を浮かべた。
「おい、どうした?」
またもや意味不明の考えに走ってしまったのかと思い、少し遠慮がちに声をかける。
「……あのね」
「ああ」
「もしこの林檎が毒林檎だったらね」
「は?」
全く、今度は何を言い出すのか。
先ほど食べられるようになったとか言ってはいなかったか。
相変わらずの思考の転換の早さに、もはや日番谷は呆れるしかなかった。
そんな日番谷の気持ちを知ってか知らずか、織姫はさらに続ける。
「もし毒林檎だったら……冬獅郎くんが助けてくれる?」
「……………………は?」
思いも寄らない言葉を聞いて、日番谷の思考はたっぷり数十秒、停止した。
もし毒林檎だったら、必ず助けてあげる。
確か兄はそう言ったのだ。
白雪姫だって助かったんだから、織姫も絶対に大丈夫だと。
しゃがみこんで妹と目を合わせて、ぎゅっと手を握って言ってくれた兄の言葉に織姫は安心して、それから青い林檎を買って、家で食べたのだった。
(お兄ちゃん……)
あの時の兄の優しさや力強さが、日番谷に少し似ているかもしれない。
そう思い、日番谷の方を見てみると。
「あれ?どうしたの?」
そこには心なしか顔を赤くしている日番谷がいた。
「冬獅郎くん。大丈夫?」
「何でもない!」
急に熱でも出たのかと心配になり伸ばしたかけた手は、ぶっきらぼうにはらわれる。
「え?そう?ならいいけど」
触れた手は特に熱くはなかったから、大丈夫なのだろう。
安心した織姫は先ほど伸ばした手とは反対の手に、まだ林檎を持っていたことを思い出して、
「乱菊さんは持ってるんだよね?じゃあこれ、食べちゃおっか。剥いてくるからちょっと待っててね」
そう言って立ち上がり、ついでに赤い林檎も手にとって台所へと向かった。
そしてその場に残された日番谷は。
(なっ……何考えるんだ、アイツは……)
先ほどの織姫の発言に悶々としていた。
白雪姫の眠りを覚ますのは、舞踏会帰りの王子の口づけ。
内容が色々こんがらがっている気がするが、確かこんな感じだったような気がする。
無論織姫のあの様子からして、そんな意味はないような気もするが、それでも『お姫様を救うのは王子様の役目』だと、目を輝かせていた話していた雛森の顔と先ほどの織姫の顔が重なり、ますます日番谷は自分の顔が赤くなっていくのを感じるのだった。
一方、台所に向かった織姫は。
(……なんで冬獅郎くん、あんなに顔赤くしてたのかなあ)
2つの林檎を順番に剥きながら、首をかしげていた。
ほどなく林檎は綺麗に切り分けられ、さらに並べられる。
「従者の役なのがイヤだったのかな?でも小人さんとか言ったら怒りそうだもんね」
毒林檎を食べてしまった白雪姫が助かったのは、王子の従者が転んだ拍子に林檎が飛び出たから。
王子様のキスで蘇ったというストーリーを知らない織姫は、日番谷の赤面の理由に全く気がつくことなく、的外れな結論にたどり着くのだった。
(一応)十万打記念DLF、BLEACHの1位である日織小説です。
ジャンルとしてはほのぼのということで、このようになりました。が、むしろギャグといっていいかもしれません。
早い話が雛森さん以上に天然暴走娘の織姫さんに日番谷さんが振り回されるというお話です。
カッコイイ日番谷さんをお望みの方がいらっしゃいましたらすみません。
というか何でこんな話になってしまったのか、実は書いてる本人が一番分かってないもので(爆)。最初はもっと日番谷さんがカッコよかった気が……あれ?
視点の方もころころ変わっております。どうしても単一視点では書けず、こんな形に……分かりづらくなければよいのですが。
ちなみにタイトルは『白雪姫』の原題(ドイツ語)ですね。フランス語と迷ったんですが、結局こっちになりました。
※DLF期間は終了いたしました。