それは昼休みのことだった。
日番谷冬獅郎はいつものように昼食を食べ終えた後、お気に入りの木の下でしばしの休息をとっていた。
他には、誰もいない。いるのは冬獅郎だけだった。
何故なら今が試験前だったからだ。
冬獅郎のクラスの者は休み時間も休まず勉強していた。
おかげで教室内は常にピリピリした空気が漂っていたのである。
平常心を保っていられたのは、冬獅郎ただ一人。別に勉強しないわけではないけれど、それほど試験に対してあせりも不安も持っていなかった。
天才児の余裕か、それとも単に性格なのか。何にせよ、今のこの状況では冬獅郎はかなり浮いていて。
だから普段特に周りの空気を気にするタイプではないのだが、なんとなく居心地が悪くて避難してきたのだった。
(……今更あせってもしかたがないとは思うけどな)
他の人間が聞いたら激怒しかねないことを平気で思いながら、冬獅郎はふわぁ、とあくびをひとつする。
溢れる陽光と、心地よくそよぐ風にやがてうとうととまどろみ始めたその時。
「わあ、ここ、すっごく気持ちがいい!」
突然響いた聞き覚えのあるその声に、冬獅郎は思わず目を開けた。
そしてあたりを見回せば、果たしてそこには幼馴染の少女の姿。
「 雛森」
なんで、ここに。喉から出てくる嬉しさをこらえ、少し不機嫌さを残しながら冬獅郎がそう聞くより早く。
「シロち……っとと、ひ、日番谷君。何でこんなところにいるの?」
入学してから3ヶ月はたつというのに、まだ苗字で呼ぶのになれていないのか、かなり戸惑いながら雛森桃はそう、言った。
「試験前だよ? 日番谷君にとっては初めてなのに……こんなところで何やってるの?」
「何って……そういうお前こそ、何やってんだよ」
「もうっ!またそうやって話をそらす! ……でもま、いっか。私たちはね、鬼道の練習にね」
ちょっと難しいやつだから、失敗しないように予習しようと思って、ここにきたんだけど……と雛森はてへへ、と笑いながら言った。
鬼道の練習。雛森が。
まあ考えてみれば自分たちが試験前であるなら雛森のいる六年も試験前だ。だから練習してもおかしくはない。
だがそれよりも気になったのは。
「……私、たち……?」
そう、確かに雛森は私、ではなく私たち、と言った。
ということは。
「あ、うん。クラスの人と一緒に練習するんだ。もうすぐ来るよ」
「そうか」
多分仲のよい女友達と、だろう。なら自分は消えた方がいい。
(……でないとまた面倒なことになるからな)
雛森のクラスメートは、苦手だ。
自分を見る好奇の目だけならいい。そんなものは入学以来、何度も目にしてきた。
だが、彼女たちの場合、『クラスメイトの幼馴染』という多少の気安さも手伝ってか、見ているだけでなく、やたらと質問攻めにしてくるのだった。
以前の状況を思い出し、冬獅郎が思わず苦笑していると。
「……あ。きたきた。こっちだよ!」
雛森の声に、思わず我に帰る。
しまった。逃げるタイミングを失った。
しかし、そう思った冬獅郎の目に飛び込んできたのは。
「すまない、待ったかい?」
「ちっと出てくるのに手間取ったんだ、わりぃな」
(……なっ……なんだ、こいつら!)
そこに現れたのは、予想に反して、男だった。しかも二人も。
まさか男が来るとは思っていなかった冬獅郎は思わず雛森と彼らの顔を見比べる。
できれば間違いだと。雛森が待っていたのはこの二人ではないと。心のどこかでそう願っていた。
「吉良君、阿散井君。もう、遅いよ〜!」
だがしかし雛森はそんな冬獅郎の気も知らずに、ちょっと頬をふくらませながら言った。
しかも、さらに。
「悪かったって、雛森。吉良が担任につかまってよ」
「なっ……あれはそもそも、キミが逃げるから悪いんじゃないか、阿散井君!」
「え?阿散井くん、何やったの?」
「ちょっと手伝えって呼ばれたんだよ。俺はさっさと断って逃げたんだけど、コイツは要領悪いからな、しっかりつかまったんだ」
「アハハ。吉良君らしいね」
「ひ、雛森さ〜ん……」
追い討ちをかけるかのように、楽しそうに会話し始めた。
つまりまさしく、この二人は雛森のクラスメートで、雛森の待っていた人物、ということか。
予想もしなかった展開に、冬獅郎はしばし呆然としながらも、二人の男を見比べた。
すると赤毛の男 どうやら阿散井とかいうらしい が視線に気づいたのだろう、冬獅郎を親指でくいっと指し、
「おい、雛森。コイツって」
「え。あ、うん、そう。日番谷くん」
私の幼馴染なんだよ、と雛森が微笑みながら言った。
「へえ、コイツが例の、ねえ……」
思ってたよりもチビじゃねえか、とからかうように阿散井が言うと。
「失礼じゃないか、阿散井君! そりゃ確かに普通よりはちいさっ……あ、いや、その……」
「お前だって言ってんじゃねえか」
「いや、だからその」
「もうっ、二人とも小さい小さいってあんまり言ったら日番谷君がかわいそうでしょ!」
「わりぃわりぃ」
「すまない、雛森さん」
(……お前が一番言ってるだろ)
思わず冬獅郎はそう雛森に突っ込みたくなったがやめておいた。
しかし、3人の会話から察するに、どうやらこの二人は雛森とは相当仲がいいらしい。
先日会った女生徒とよりも、数段に会話が弾んでいる気がする。
(そりゃ男のダチがいないとは思ってなかったが)
これほど仲がいいとは、予想外だった。
こんなに近くに、男がいるなんて予想していなかった。
今まで一番近くにいるのは、自分だと思っていたから。
そう考えると、少し悔しかった。
しかも、だ。
「それより雛森さん。早くしないと時間が」
「あ、ホント? 吉良君、ちゃんと時計持ってきたんだ、さすがだね」
「いや、当然だよ」
この露骨な態度。本人は隠しているつもりかもしれないが。どうみてもバレバレだ。
(こいつ、気にいらねえ)
そう思い、冬獅郎は吉良に向かって一睨みする。吉良は一瞬びくり、と震えたが、すぐに立ち直った。
すると、ふと阿散井と目が合った。彼は雛森と吉良の会話を苦笑しながら見ていたのだが、冬獅郎の顔を見るとにやり、と笑ってみせた。
その笑顔は、吉良ばかりか自分の気持ちまで見透かされているようで。
冬獅郎は思わず顔が熱くなりそうな自分を必死で押さえ、そして。
「 おい、雛森」
「え、何、日番谷君?」
「俺、もう戻るから」
「そう?」
「ああ。練習、頑張れよ」
「日番谷君もね。試験頑張って」
「分かってる」
今はまだ、遠いかもしれないお前との距離。
今はまだ、他の誰かの方が近いかもしれないけれど。
いつか追いつくから
だから。
「待ってろよ」
う〜ん、いまいち出来がよくないです。日番谷君が別人……
まあ一年生なので。まだまだ幼いってことで勘弁してくださいませ。